The Future Changes The Past

きっとこの作品の最初に与えられた命題なんでしょう。

私もこの映画を見て、この言葉を聞いて、すごく意識するようになりました。

私の答えは見つかっていません。

きっとまだ解釈の途中なんでしょうね。

それにしても…分かりやすく、クラシックギターにはまっています。

以前もクラシックギターの音色に惚れ込んだことはありましたが、そのアーティストの方はJAZZやR&Bがメインで、バイオリンや歌い手の方とコラボされることが多く、ギター1本でクラシック音楽をここまでの迫力で聴いたことが無かったので…

本当に、圧倒されています。

朝起きたらすぐにラジオだったのが、今はクラシックギターに。

その心地良さがたまりません。

そして眠る前の静かな時間もクラシックギターを。

聴きながら感じました…クラシックギターの音色が心に響くのは、暗闇に優しい一筋の光が差すように、そっと私の心に寄り添ってくれるからなんだと。

曲が終わった後の余韻はどこまでも甘く、優しいんです。まるで樽の中でエイジングされたワインやウィスキーのように…。

いまこの時に出会えたクラシックギターの音色に感謝して。

今日も優しい夜を迎えています。

情熱と現実の間で、ただひたすらに貴方を想う

ずっと公開を楽しみにしていた映画。

「マチネの終わりに」

今日はいろいろなタイミングが重なって、嬉しいことに公開日に観ることが出来ました。

ラストシーンの印象深さ、そして優しい余韻…

冒頭で与えられたテーマを、様々な現実が突きつけられながらも解釈して、たどりついた最後の場面こそが、この映画の全てだと感じました。

そして、本編を彩るクラシックギターの音楽の数々。

ギターの音色って、こんなにも心に響くものなんですね。

「幸福の硬貨」はこの作品のために書き下ろされたオリジナルの曲ですが、本当に名曲です。私の大好きな「ニューシネマパラダイス」の「愛のテーマ」に匹敵するぐらい…いや、それ以上でしょうか。

福山雅治のギターを演奏する姿には鳥肌が立ちました。

特にセリフを喋らない時の彼の演技、真実を知った時の彼の慟哭が真に迫りすぎていて、観ながら私も苦しくて、苦しくて。

石田ゆり子の演じる洋子という女性の潔さ、強さ、そして奥ゆかしさがとても好きです。共感できる部分もたくさんありました。彼女のたどる運命と、そこに向き合う彼女の姿に自然と涙が零れました。

そして石田ゆり子のフランス語はとても美しくて、彼女の声もフランス語に合っているのか聴いていてとても心地よかったのが印象的でした。

静かな情熱と、どうすることも出来ない現実の間で…

今日という日は、未来から見た時にどう見えるのだろう。

そしてどうしようもなくただ、「会いたい」と思える人がいるということ。

どれだけ遠く離れていても、その人を想うだけで今日を生きられるということ。

恋愛に憧れている頃よりも、いろんな経験を積んできた頃にこの映画を観ると、それぞれの人物が抱えている思いや背景が理解出来るのかもしれません。

「過去は未来によって変えられていく、繊細なもの」…この映画に出会わなければ、私の過去は醜いままだったかもしれません。もう見たくもないと蓋をしたままで。

今日も、いつかは過去になり、未来の私がどんな思いで見るのか。

その未来で私は…それも現実の積み重ねなんだろうけど。きっと好きな人や大切に想う人がいる方が、人生に彩りが与えられるように思いますよね。

その時に、そんな人がいたらいぃな。

「幸福の硬貨」を聴きながら、今日は優しい夜を迎えています。

あこがれの人

天王寺の本屋さんで初めて手に取った時から、何度も何度も書店で読み返していましたが、ついに手に入れちゃいました。

こんな女性になりたい、と思います。

可愛くて、優しくて、やわらかくて、でも凛とした強さも感じられて。

私のバイブルとしよう ♪

少しの狂気は、新しい色を見せる。

乾杯を、夢追い人に。

乾杯を、厄介者の私たちに。

https://eiga.com/movie/82024/

「 LA LA LAND 」を観ました!

冒頭の「 Another Day of Sun 」の映像に心を鷲掴みにされて以来、ずっと気になっていた作品。やっと観ることが出来ました。

一言で言うと…切ない。切ないんです、この作品。

とても陽気で楽しいミュージカルと、ワクワクするラブストーリーかと思いきや、とんでもなかった。

とっても良い意味で私の期待を裏切ってくれました。

私たちの人生は全て選択の積み重ねで出来ています。選んだ人生、そして選ばなかった人生。主人公たちが得たもの、失ったもの…。

ラスト10分にその「たられば」が全て凝縮されていて、本当に切なくなります。

一体何があったの…?あの間に。

きっとその空白の物語は、監督が観客に委ねたんでしょうね。

全体を通して印象的だったのは、色使い、音楽、少し懐かしさを感じさせるテクノカラー風の映像。内容はめちゃくちゃ現代なのですが、ちょっと画面の端っこがぼやけているのがフィルム時代の映画を彷彿とさせてくれました。

きっと、これまでの人生の積み重ね方でこの映画の見方はずいぶん変わってくると思います。

私も数年後、また観てみよう。

その時、私はどんな「たられば」を思い描くかな…。

大好きな人へ。

あなたが苦しんでいると思うと、何か出来ることないかなって思う。

でも、あなたの悩みの答えはあなたの中にしかなくて。

それを奪うことは出来ないから。

私の笑顔があなたの道しるべとなるように、そっと、あなたの言葉に耳を傾けながら寄り添っていたい。

私が並べた言葉は軽率だったかもしれない。

他人と過去は変えられない。

変えられるのは、自分と未来だけ。

あなたの内なる可能性はまだ眠っている。

一度しかない人生だもの。どうか、後悔はしないように。

あなたが選んだことは、私が守るよ。

離れていても、あなたのそばにいる。

彼の歌声は全ての人々へのメッセージ

今日は思い立って映画を観に行ってきました。

「Bohemian Rhapsody」

映画.com 「ボヘミアン・ラプソディ」作品情報

恥ずかしながらQueenの楽曲はCMやテレビ番組などで流れてくる主だったものしか知らなかったのですが、それでもめちゃくちゃ感動しました。

「本当の自分になれたら、また会おう。」

苦しみ、悶え、世間から非難され、自分を最後まで剥がしきった先に手に入れたもの…それは本当の自分と、本当の愛の姿。

ラスト30分から涙が止まらず…特にラスト21分。

その歌声が心に響きまくります。彼らを知らなかった私なのに、本当にもう信じられないくらい魂を揺さぶられます。そしてものすごい一体感!

フレディ・マーキュリーという人間、彼の生き様、彼を支え続けた人たち、Queenのメンバーそれぞれの想い、全部ひっくるめて一気に最後に流れ込んでくるので、見事に涙腺崩壊。

彼らの歌は、なぜこれだけ多くの人の心に届いたのか。

それはフレディ自身が言った「歌詞は聴き手のものだ」という言葉や、最後に「与えたい」という言葉にしていたように、彼らが自分たちの生きづらさや喜びを糧にして楽曲に昇華し、自己と人々を励ますこと、会場との一体感を求めていたことなど、人々に対する愛がその歌声に乗って届いていたからなのだろうと感じました。

特に「We Are the Champions」なんかは全ての人たちに贈るメッセージソングだったんだなと、この映画で知りました。これは彼だからこそ書けた歌なんですね。

ファンの方達のレビューを読んでいると、フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックは生き写しかと思うくらい外見も仕草もそっくりらしいです。歌唱力も素晴らしいですし、フレディに関して手に入るあらゆる資料に目を通し、1年かけて役作りをしたというだけあるそう。

他のメンバーについても、元メンバーが選んだというだけあって再現性がものすごいらしい。そして、元メンバーであるブライアン・メジャーとロジャー・テイラーが音楽総指揮をしているので、演奏の音質が素晴らしいとのこと。

いやはや、改めてQueenの偉大さ、フレディ・マーキュリーという人の壮絶さを知りました。今でこそこの映画が投げかけているもう一つの問題である性のマイノリティについても世間が受け入れてきているのは、きっとこの人の生き方が貢献している部分もあるのではないかと感じ。

そしてもう一つ忘れてはいけないのは、この映画は家族の物語でもある、ということ。

ぜひぜひ、ラスト21分の一体感を感じに、そして思い切り涙を流しに映画館へ行って下さい!

よろこんだ涙 くるしんだ涙 すべて味わいになる

今朝、仕事に出る直前に、なぜか星野道夫の本を手に取りました。

アラスカの写真。森の木々にうっそうと地衣類が根付き、その香りまで感じるような瞬間。食事を終えたホッキョクグマたちが氷河の上でまるで人間のようにくつろぐ姿。アラスカの森の中、ぽつんとたたずむムース。

私たちがせわしなく生きるこの瞬間にも、北極の海では鯨が跳ねている。

見えないけれど、確かに全ての生き物の上に時間は流れ、生命の営みを繰り返している。

たった数秒だったけれど、いろんなものが私の中に流れ込んできたような感覚があって、突然涙があふれてきました。

そして、今すぐにでも北海道の森へ行きたい…そんな衝動に駆られました。あの香りを全身に浴びたいとふいに思ったのです。

でも、そんな訳にもいかないww

仕事へ行って、帰って。

今日は「ぶどうのなみだ」を観ました。

大好きな「しあわせのパン」と同じ制作陣で、北海道を舞台とした映画。

今回は空知でワイナリーを営む兄弟と、そこへ突然あらわれた不思議な魅力を持つ女性との出会いの物語でした。

「土くさいワインは、時間がたつと良いワインになる。」

空の青、木や草花の緑、そして土。

何気なく踏みしめている大地は、全てを抱えている。生まれて死んだ命、私たちの涙、たくさんの思い出を。

土はたくさんの命を抱えてそこにあって、ぶどうの木はその土に一生懸命に根をはわせ、栄養を吸い、空に向かって伸びていく。

そのぶどうが姿を変え、ワインとなり、その一滴を今ここに生きている私たちがいただく。

生命の連鎖を、そして植物の力を感じました。

エリカが青に贈ったミズナラの樽と、その手紙の内容に心が動かされました。そこで初めて青が今まで見えていなかったものを知ることになります。

最後はささやかだけれど、やっぱりハッピーエンドで嬉しい。

あぁ、今すぐ大切な人たちとワインが飲みたいな ♪

いまここにある全てに感謝をして、乾杯を。

これまでに流してきた涙の分だけ、そしてこれから流す涙もみんな良い味になって。

そんな幸せな瞬間が、たくさん訪れますように。

数秘術 〜 コア・ナンバーズ

今日は、数秘術の算出法の中でも中核となる「コア・ナンバーズ」からのメッセージを受け取ってみたいと思います。

① ライフ・パス・ナンバー … Life Path Number

② ディスティニー・ナンバー … Destiny Number

③ ソウル・ナンバー … Soul Number

④ パーソナリティ・ナンバー … Personality Number

⑤ マチュリティ・ナンバー … Maturity Number

⑥ バースデイ・ナンバー … Birthday Number

⑦ ブリッジ・ナンバー … Bridge Number

この中でも①〜⑤は「ファイブ・コア・ナンバーズ」と呼ばれ、その人の運命や人生の骨子を知るうえで最も重要なナンバーとされています。

その中から、①ライフ・パス・ナンバーについて、私のナンバーと共に解説してみようと思います。

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数秘術を知る。

文字って、なんだかそれだけで美しく見えてきます。

それぞれに付けられた名前、詩、歌など。

名付けの意味とか聞くと、余計に愛おしくなります。

同じように、数字に対しても何か特別なものを感じます。

そうして最近知った「数秘術」…これはなかなか面白い ♪

「数秘術」は英語で「ヌメロロジー (numerology) 」(numero [ 数 ] + logy [ 学、あるいは論 ] ) といいます。直訳では「数の学」、あるいは「数の論」という意味。

数字が苦手な私にはちょっと難しく感じましたが、「数秘術」とは生年月日や名前を一定のシンプルなルールに基づいて計算することによって、「性格」、「才能」、「運命」、「相性」、「未来予知」などさまざまなことを導き出す「占い」なんだそうです。

そう聞くと、女子としてはわくわくしますよね。

でも、「占い」といっても「まだ見ぬ運命」を解き明かしてくれるようなものでは無くて、潜在している可能性を最大限に引き出してくれるツールであり、宿命論には偏っていかない。

生年月日や名前という事実から引き出されるシンプルなメッセージをどう受け取るかは本人次第ということです。

これ、私はすごく腑に落ちるポイントでした。

で、ここからが本題です。

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ガラス瓶への想い

以前、ここに書きましたが、ハーバリウムは私の夢でした。

子供の頃、大好きなビー玉や、おはじきや、お気に入りのリボン、オーロラ色にキラキラ光るセロハンなどを使い古しのジャム瓶に詰めて、水で満たして、それを光にかざして見るのが好きでした。

それをいつまでも取っておきたくてそのまま飾っていたら、ビー玉にふわふわとしたものがくっつき始めたり、水にカビが生えてきたり、セロハンはどろどろになってしまったりと、きれいだったものが汚くなって、悲しくなってしまったことがありました。

お花も、きれいな姿は数日で、やがて枯れてしまいます。

もちろんそれは自然な姿で、今ここにあるものは長さは違えど、いつかみな終わりを迎えます。

それでも少しでも長く手元に置いていられたら…

そう思いながら大人になり、出会ったのがプリザーブドフラワー、そしてハーバリウムでした。そう、願っていたことが叶えられたんです。

 

そして同時に出会ったのは、様々な形のガラス瓶でした。

今日はずっと行きたいと思っていた、北浜にある「Cute Glass Shop and Gallery」へ行って来ました。

ここは、いま世の中に出回っているハーバリウム用のガラス瓶全体のシェアをほとんど占めていると思われる日本精工硝子株式会社という会社がこの7月にオープンされた、ギャラリー兼ショップというお店です。

なんでも社長さんのおばさんの持ち家を保存するためにリノベーションしたんだとか。京町家のようなたたずまいと、中には小さな庭、そして当時を偲ばせる防空壕などがそのまま残されていました。

 

ここのガラス瓶は透明度が高く、私が使っている屈折率の高いオイルを注ぐと、より中の花材がキラキラと美しく輝いて見えます。

これはガラス瓶となる原料の試験的な段階のもの。

光にかざして透明度を確かめ、基準をクリアするまで何度も主原料の配合を変えていくそうです。ここに、より透明度の高いガラス瓶を作ろうと励むガラス職人さんたちの情熱を感じます。

そしてもともと化粧品用の瓶を作られていたというだけあって、女性らしいフォルムを作り出す技術がどこのガラス瓶メーカーよりも長けているということからも、ハーバリウムの瓶に選ばれているということに納得です。

町屋をリノベーションした奥のギャラリーには、社長さんのコレクションであるガラス瓶の数々がたくさん置いてありました。

ウィルキンソンの初代の炭酸水の瓶なんかもありましたが、なんと宝塚の鉱泉が元祖なんだそうで!炭酸水は海外からのものだと思っていましたが、この発見は新鮮でした。

 

私はガラスが好きです。

混ぜるもので色を変え、熱で姿を変える。

生活のすぐ側にあって、時には芸術的な姿にも変わる。

そして時には凶器にもなる、どこか不安定なところ。

古いガラスを通して見る光はなんだか優しく感じられて。

透明な隔たりは、それだけで時間や空間を切り取ります。

そう、窓の向こうにある生活や、窓の向こうのその場所の時間には、そこで暮らしたりそこで働く人たちの温もりが感じられる。

その優しさと、儚さと、ささやかさと。

ハーバリウムで様々なガラス瓶を手に取るたびに、ここにどんな世界を作ろうかといつもわくわくします。

ガラス瓶の奥深さに触れて、これまでガラス瓶が辿ってきた歴史を大切に受け取りながら、また新しい作品作りをしていこうと思った1日でした。